文化財の消失と高さ規制に思う

身の回りで、最近、文化財的価値のある建物が壊されて高層マンションが建ったり、農地がコンクリートのアパートに変わるのを目の当たりにする。
写真は、松本市のあがたの森近くに昨年まであった大正時代の建築「ヘニガー邱」。あの東京の山の上ホテルなどを設計した著名なヴォーリズの貴重な建築で、何とか残せないかと家主・不動産屋・関係者に会って相談し、中も見せてもらったりしたが、数千万円の資金が必要で断念。今は跡形もなく壊されて、老人施設が建築されようとしている。
昨夜出席した、環境や中心市街地活性化の問題に関心のある市民数人の会合でも、この種の話が出た。ヘニガー邱のように、持ち主が高齢化し、相続する人が都会に出て行ったりして、相続税を払ったり管理することができなくなり、更地にしてマンション業者に売ったり「資産運用」のためにマンション経営するパターンが多い。
100年の歴史を経た文化財がなくなり、景観を損ねる高層建築が建つのは社会的損失だと思う人は多いのだが、行政か資産家が動かないと難しい。行政が高さ規制をするには、地区住民の合意が必要らしい(日本は変な所で「民主的」)。軽井沢ですら、去年、すったもんだの末、田中前知事が動いてようやく少し規制された。
未来を見据えた「都市計画」というものが、今の日本にはないのだろうか? 高齢化で、土地を売りたい人とマンションを買いたい人がいるという一時の経済原理にまかせ、今建設されたマンションが20年後には空き家だらけで、ただ青い空や山の景観をさえぎる「ホーンテッド・マンション」 になると予想されるが、どうでしょうか?


文化財の消失と高さ規制に思う」への2件のコメント

  1. ヨーロッパへ旅行すると、文化や古いものを大事にすること、時間感覚などについての差を思い知らされ、日本という国が実になさけなくなります。
    便利さと物的豊かさを追い求め、経済優先であくせくしている人々、何かが根本的に間違っている。政治が悪いのか、人々の意識が低いのか?

  2. 明治維新以降の経済優先の政策やら、働き過ぎる国民性やら、電気製品の過剰な普及やら、いろいろなことが災いしてるんでしょうか。最近は中国などにも伝播しているような..

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