島崎藤村の「山辺の湯」という文


島崎藤村の「三人」という小説の中の「山辺の湯」という文章を、浅間温泉の方にお借りした古い本の中で見つけました。
まさに今通勤している、松本の市街地から美ヶ原温泉へ至る道を、女性3人が乗合タクシーに乗って行く話。
惣社の分岐路とそこに今もある石のことが書かれ、最後に里山辺郵便局のところに来て、「それが山邊であった。」で終わってます。
主人公が毎朝歩いて山辺から松本の女学校へ通う「近道」は、今住んでいる辺りの道と思われ、島崎藤村もこの辺りを歩いたのかなと思うと感慨深い。
下は、藤村がこれを書いた頃(昭和初期)の美ヶ原温泉の絵葉書で、今も営業している旅館「金宇館」のお風呂のものです。


島崎藤村の「山辺の湯」という文」への4件のコメント

  1. 里山辺郵便局は健在ですね。
    藤村は好きで、これも確か読んだ気がします。
    私の、美ヶ原温泉の定宿が「山辺荘」で、一体美ヶ原温泉なのか山辺温泉なのか?とわからなくなった。
    温泉街の雰囲気はなかったけど、静かでそれでいて街に近く、別荘地みたいでした。

  2. 山辺荘? 聞いたことがないです。名前が変わったか、やめていく旅館も多いので、もうないのかも。別荘地みたいだったら残念ですね。

  3. 山辺荘はもうなくなったか改名したかだと思います。旧電電公社の保養所でした。ちょっと行けば民俗博物館もあり、いい所です。とはいえ、遊ぶにはやはり駅周辺が便利と思うようになりましたね。

  4. 電電公社、なんと懐かしい。
    民俗博物館というのも聞いたことがないです。

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