去年OPENの満蒙開拓平和記念館の衝撃

南信州の阿智村の満蒙開拓平和記念館に信州自遊塾で行って来ました。
戦時旧満州に多くの日本人が入植した「満蒙開拓」の唯一の博物館で、去年開館してから予想以上の来館者がある施設。
長野県は、全国最多の開拓民を送り出した県で、特に県や教育会からの圧力があった信州南部は村ごと移住した所もあるそうです。我が家の隣にも満州からの帰国者がいらっしゃいます。
国策としてほとんど詐欺のように送り出された後の苦難は、TVドラマなどにもなっていますが、記念館で語り部の方からナマで聞いた実体験はもっと壮絶な地獄絵でした。
書くのもはばかられるが、70人もの集団自決で、子供や親の首を絞め、その首を別の人が絞め、最後に残った二人は岩でお互いの頭をたたき割り合ったが死ねず一人だけ生き残ったとか。。
所属した開拓団の民間人は78人中69人が亡くなったのに、軍人は17人中16人が生きて帰った。橋を破壊し、民間人を捨てて逃げ帰った軍隊組織は許し難いことです。
記念館には、語り部達の証言記録台があり、集団自決以外にも零下40度での収容所生活や強制労働・死の逃避行・現地の中国人が助けてくれたことなども書かれていて、涙が出ます。
逃避行で子供や家族を失い、その一部は残留孤児となり、帰国できた方々は、荒れ地に居住させられ真の「開拓」が待っていました。その「引揚者村」は、当時荒れ地だった軽井沢の農地や、今はレタスの一大産地の川上村など、長野県内にも点在して、「満州開拓殉難之碑」などがあちこちで見られます。
語り部の方が最後に、「戦争にはいいことは一つもない。今後ぜったいやってはいけない。」とおっしゃっていました。政治家達や、若い人たちに行って見て聞いて欲しいと思います。
※館内の写真は、記念館から提供頂いたものです。


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